教壇に立って 第1話
もうすぐ夏休みが終わる。
あっという間のようで、振り返ると結構長い。
教職員は、夏休みだからと言って、決して休みがある訳ではない。
学校によって多少の違いはあるが、夏休みが始まれば、研修や会議、地域巡視などの嵐が待っている。中学の先生などは、更にそこにクラブ活動が加わる。それに比べれば小学校の先生はどれ程恵まれていくことか。
それらを一通り終えて、ようやく普段使わない(使えない)年次休暇や夏季休暇(5日)を使って休みを取ることができる。
毎年心がけているのは、特に遠方に旅行にでも行かない限りは、年次休暇などを使って休み過ぎないこと。
どんなことでもそうであるが、リフレッシュするにも「適度」が一番良い。
夏休みに休み過ぎると9月から色々な意味での地獄が待っているw
夏休み中に、2学期の準備をどれだけしたかによって、9月からの充実度が変わってくるだろう。こちらから準備=仕掛けることにより、不必要に子どもを叱らなければならないような場面を回避することができる。
だからこそ、できる限り出勤し、普段できないような教室環境の細かな整備をしたり、勤務場所を離れての研修に積極的に参加したりするのだ。
都道府県や地方の自治体がやっている研修ならば無料で参加できるし、学校によっては交通費が支給されることもある。また、民間教育団体の研修は、画期的で先進を行く内容のものが多い。
9月1日からは、また子どもたちがやってくるのだ。
我々は、そのために、この仕事を志してきたはずなのだ。
子どもが活動する場面にこそ、我々の仕事の本質があることはここに記すまでもない。
さあ、新学期に向けて気持ちを切り替えて行こう。
子どもは切り替えが早いと言われるが、中には夏休みボケに陥っている子も少なくはない。長い夏休み期間ですっかり様子が変わっている子もいるだろう。
まずは、教師が見本を見せるのだ。
言って聞かせる前に、やって見せて。
つづく
教壇に立って 第0話
教壇に立って、まだ数年。
僅かな経験の中ではあるが、つくづく感じるのは、この世界は本当に狭い。ただただ狭い。
しかし、とてつもなく深いのだ。底が見えないくらいに。
教師になる前は、民間で販売業の仕事をしたり、自営業を営んでみたり、家に引きこもったりと紆余曲折の人生であった。
最終的にたどり着いたのが、この「教育」という仕事であった。
なぜ、自分は「教育」という仕事を目指したのだろう。
それも「公教育」という仕事を。
公教育とは、いわば国公立のことを指すが、私の勤めているのは、地方自治体が設置する公立学校である。
どの地域の、どの家庭にある子でも「ウェルカム!」なのが、公立学校の原則である。
つまりは、あらゆる環境に身を置く子どもたちが、ただ生まれた年月日が同じという理由だけで、一同に集合してくる場所でもあるのだ。
「そんなの当たり前だろw」と鼻で笑われそうであるが、実はこのことが どれだけ恐ろしいことであるか、そして、教壇に立つ上でどれだけ腹をくくらなければいけないことなのか、教師になってようやく実感するのである。